いつも心が、迷う時に参考になる教えの一つに、老子がある。
参考になると言うより、ピタリと、気持ちにフィットする。と言う方が正解なのかもしれない。

「天は常に、善人の味方である」
大きな怨み言を和解させても、怨み言は、あとまで残るもの。
どうしてそのようなことが良いことと言えようか。
こうして道と、一体となっている聖人は、もし、何かを、貸したとしてもそれを催促して取り立てることをしない。
徳のあるものは貸すことに赴きをおき、徳のない者は取り立てることに意味を持つ。
天の道は、えこひいきせず、常に善人の味方である。

私は、この言葉の真の教えを理解するのは、現代の社会で、難しいと、実感することが多かった。
例えば、親は、子供に優しくあれ、と、教える。
人に優しく、と、しかし、優しい子が、不利益なことになると、もっと、自分のために生きなさいとか、損することが、その子の弱さのように注意する。
でも、その行為が、いかに、天に愛される行為かを知ることは少ない。

優しいことをちゃんと受け止めてあげることは、あるだろうか?

今日、朝、気持ちがふっと、ざわついた時に静かに心に浮かんだ教えである。

絵 仲村渠伯寅
タイトル 勇気あるライオン