先日、ある女性と出会いました。
静かな笑顔の彼女の口から、「障害者の弟の、絵を広げていきたいです。この子達が、それぞれ好きなことで生きていけるように仕事として取り組みたいです。」
真剣な、眼差しに、圧倒されながらも「もう、このことについては、真剣に自分の画商人生で取り組みたい」と、心の奥の声。
以前より、障害者のアート作品に強く心が動いていました。
認知症の方達の、アート作品に涙するほど、人間の生命力の美しさに、打ちひしがれました。
なぜ、こんなに、魂が、揺さぶられるのか?
それは、彼らが、人の評価を気にしてないからです。
どう良く見せようとしてないからです。
メッセージを込めてないからです。
ただ、描くことへの衝動だけだからです。
絵を習わない画家でも、一般には、やはり好きなアーティストがいて多少なりとも影響を受けています。
しかし、彼らは、なんの影響も受けてません。ただただ、純粋に、今だけです。
ピカソも、ゴッホもそこにたどり着くことはできなかったように思います。
他を寄せ付けない絶対的な画力があっても、その領域には、たどり着けませんでした。
アウトサイダーアート、それは、決して美しい、可愛いだけではありません。
魂を揺さぶられるくらい、嫌な感情や切ない感情にとらわれることもあります。
「障害者の絵ね、可哀想、偉いわね。」
そんな立場で見るものでもありません。
神様が、私達に、今だけの素晴らしさ、ただ、生命が存在する尊さを、教えてくれているように思います。
この機会に、じっくり、私なりのアウトサイダーアートの取り組み方考えてみようと思いました。
人生の後半に、面白い課題見つけることができたことにワクワクの私です。

絵 仲村渠伯寅
タイトル 青い瞳