昨日、お客様とお話ししていた話題で、目上の方に「なるほどね」という言葉使いが、気になってしょうがない。という言葉があった。
同じように、職場の上司に苗字でなく下の名前で、呼ぶのも気になる。
両親を名前で、呼ぶのも気になると。

人それぞれ、どのような言葉で話そうと自由ではあるのだが、自分の環境にない言葉に少しばかり戸惑いを感じることはある。
それと同じように、私が気になって仕方無いのが、間違った方言の使いかた。
ちゅらさんを美しいのルビをうたれると、イラっとする。清らかで、ちゅらさんである。方言のビミョーなイントネーションも、気になる。大阪人が、違うイントネーションで、大阪弁喋られるの気持ち悪いように、気になって仕方ない。
そこで思ったのが、何だか今の人の方がボキャブラリーが、貧しいと思った。
昔の文学などを読むと実に美しい表現が多い。

江戸の生粋の下町のお爺さんがいる友人は、お金が無い事を、芸者の羽織と表現した。紋(=文)無しなのである。彼の粋な着こなしと、言葉使いの気の使い方は、そのまま、彼の魅力になっていた。言葉使いは、その人の特徴を現す。

浅田二郎の天切松兵衛の中で使われる江戸の言葉は実に表現豊かで粋である。
向田邦子の古き良き昭和の女言葉は色気がある。
夏目漱石などは、もう、コピーライターの域である。

文章を横で読み始める文化が、美しい日本語の表現を少なくしたのか?
はたまた、忙しい日常が省略した話し言葉を多くしたのか?
フレンドリーな親子関係を良しとする現代の文化がそうしたのか?

マスコミ業界なのか?分からぬが、言葉使いの間違いで厳しく父親に注意された私。父親はその当時の私達の流行り言葉にイラっとしたのであろう。言葉使いや、他人への気配りに敏感だったため、始終叱られていた。

50も半ばであるが、はたして私の日本語は大丈夫?